罪に定められない(ヨハネ8:11)

こんにちは、うさぎ飼いです。

今日は近くのカトリック教会にお邪魔しました。うさぎ飼いはプロテスタントですが、彼くんがカトリックなので、カトリック教会の方にも行くようになりました。

浅草キリスト教会へ

今日は近所のカトリック教会、浅草キリスト教会へ行ってきました。

カトリックの大きな特徴は、なんといっても教会主義、伝統的。ホーリーな空間で、神さまに祈ることを重んじます。カトリックは毎回聖書箇所が全世界共通で、教会が違っても礼拝の雰囲気、流れが大きく変わることは少ないみたいです。

実際、今日初めて行った教会でも、以前行っていたカトリック教会と雰囲気が大きく違わないことも驚きました。プロテスタントは教会、宗派ごとに結構大きく雰囲気変わることもあり、引っ越し先で自分に合った教会を見つけるのは大変・・・・・。という話を聞くこともしばしばですが、カトリックはそのような悩みが少ない傾向にあるかもしれません。

今週の聖書箇所

今日は四旬節第5主日と言われる日でした。(四旬節:復活祭の46日前の水曜日から復活祭の前日までの期間。カトリックが中心)イースターまであと2週間なんですね。

今日のメッセージはヨハネ8章1節〜12節からでした。

1 イエスはオリブ山に行かれた。 
2 朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。 
3 すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、 
4 「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。 
5 モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。 
6 彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。 
7 彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。 
8 そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。 
9 これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。 
10 そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。 
11 女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。〕 
12 イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。


ヨハネによる福音書8章1〜12節

ここでは、姦淫の罪が赦される、と言われている訳ではなく、誰も罪のない人はいないのだから、裁く権利のある人もいないはずである、というメッセージ箇所。

地面に何かを書いていた(6節)

6節の解釈について、イエスさまが何かを地面に書いているシーンが書かれています。何を書いたかはわかりませんが、礼拝ではいくつかの方面からの解釈がありました。

地面に書いていたのは、罪について、契約について書かれていたのではないかという節。また、書かれていた場所は地面であって、すぐに風で消えてしまう場所、儚い、他愛のないものだということを表現している。という解釈を聞きました。

今日のメッセージ

私たちは、許せないから苦しむ、愛せないから痛む、よって、許し、愛することで自分たちも救われる。自分たちもこれまでの人生で多くの許しを得て、これまで生きて来たように、他人を許せるか、愛せるか、というメッセージでした。

自分の罪の大きさを知るほど、神さまの愛がわかるというメッセージにも繋がっていると感じました。

6節の箇所をこんなに意識したことがなかったなと思いましたが、一つ一つに深い意味があるんだな〜と改めて実感しました。

おすすめの聖書

聖書は、カトリックとプロテスタントでそんなに大きく変わるものではないんですが、もし、カトリックとプロテスタント、どちらの礼拝も行かれる方は、新共同訳がおススメです。


今日は天気が良かったので浅草観光してきました。美味しいものをたくさん食べ、まったり過ごす日曜日でした。

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