「私は渇く」(ヨハネ19:28)


こんにちは、うさぎ飼いです。

もうすぐイースターですね。イースターエッグという卵を使ったモチーフがよく使われるのは、イエス様の復活、生命誕生の象徴だったりします。

繁殖能力が高いうさぎは、イースターの象徴的なキャラクターとして登場することもあり、イースターバニーとも呼ばれているそう。うちにもバニーがいます。

我が家のイースターバニー

3月の礼拝のメッセージは十字架に関するものが多かったのはこのイースターに向けた前段階だったのかもしれません。

今週は、ヨハネ19章28~29節、イエス様が十字架にかかり死ぬ間際のセリフについてのメッセージでした。ということで礼拝でのメッセージをシェアしたいと思います。

人の罪のために十字架にかかって死ぬ、そして3日目に蘇るという聖書の言葉が実現するため、イエス様が十字架にかかって苦しみを受けられました。

予言だったので最初からわかっていたはずですが、喜びの気持ちだけではなかったと思います。

十字架にかかり、死の間際、イエス様はこのように言います。

「私は渇く」(ヨハネ19:28)

なぜこのように言ったのでしょう、あまり考えたことがありませんでした。

しばらく水を飲んでいなかったようです。とても喉が乾いていたと思います。

イエス様はその後、十字架の上でそのあと海面に含ませたぶどう酒を口にします。

ただ、この「渇く」という表現は、肉体的な意味だけだったのでしょうか?

肉体的に喉が乾いていたということではなく、父との関係性への乾き、霊的な意味での象徴だったのかもしれません。

聖書に渇くという表現がいくつか使われています。

「さあ、かわいている者は/みな水にきたれ。金のない者もきたれ。来て買い求めて食べよ。あなたがたは来て、金を出さずに、ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ。 

イザヤ書55章1〜2節

6 そして、わたしに仰せられた、「事はすでに成った。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。 

黙示録21章6節

13 イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。 
14 しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。 

ヨハネによる福音書4章13〜14節

37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。 

ヨハネによる福音書7章37〜39節

17 御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。 

黙示録22章17節

「渇く」ということは、生きる事への原動力、成し遂げようとするモチベーションであるという象徴だと捉えられるとするならば、まさに聖書にあった言葉が今成就しようとしている、ということの象徴だったのかもしれません。

最後の言葉をいうためであったかもしれません。

「渇く」いう言葉のあと、このように言います。

30 すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた。 

ヨハネによる福音書19章30節

聖書の予言、神さまの計画が全て完了した、ということだという解釈が一般的です。

この完了する直前、神さまの計画がまもなく完了するという意味を込めて、「私は渇く」と表現したかもしれません。

この計画が完了したことによって、私たちが永遠に尽きることのない水を得る事ができました。

とてもさりげない箇所だと思っていましたが、なんて深いんだ・・・・。というのが私の感想でした。

うちの教会は礼拝が英語だったりします。多言語を学んでいる人は、バイリンガル聖書もおススメです。うちの教会はこんなのがあります↓

2019年のイースター礼拝は4月21日にやるところが多いですよ。イエス様の復活を一緒にお祝いしましょう〜。

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