ノンクリスチャン向けの聖書の学び会 Step2

こんにちは、うさぎ飼いです。

東大の本郷キャンパスの近くのキリスト教系の寮、東大YMCA寮にてノンクリスチャン向けの聖書の学び会を開催しています。

聖書は最近新しい訳も出ているので、これから聖書を買おうと検討されている方は、是非、新改訳(2017)や聖書協会共同訳などの話題のバージョンがおススメです!

Step2 まことの神

今回はStep2ということで、神さまとはどんな存在?ということについて学びました。

いつも使っているテキストはこれです。

Step2の概要

「Step2」は神さまについてです。

概要を一言でいうと、

聖書の神は、まことの神、唯一の神、全能の神

という感じです。

神さまってとにかくすごい、というイメージがあると思うんですが、実は神さまに対する理解を深めることは、とても大事なことです。

とても凄くて偉い神さまなんだけど、怖くて近寄り難い存在・・・・と思ってしまうと、なんだか考えるのも億劫になってしまいますよね。

今回は神さまが全能であるだけではなく、人格を持っていること、生きた神であること、私たちを愛していること、ということに焦点をあてながらディスカッションできました。

神さまの人格について

主な議論のポイントはこんな感じでした。

神様は人格をもっているという表現は、いい部分も悪い部分も存在しそうな表現であり、全能の神と矛盾しないのですか?

確かに「人格」という言葉を聞くとそんな風に思うかもしれません。全能なのに、神さまは怒ったり、喜んだりするの?なぜ。と疑問があるかもしれません。

みんなの回答はこんな感じでした。

・神様が人格をもっているということは、神さまが無機質な存在ではなく、生きて、私たちを情熱的に思い、愛していることの表れ。ただし、クリスチャンにも完全な理解をしているわけではなく、完全な存在ではない。知識、想い、言葉による告白と水の洗礼をもって、クリスチャンとして成長していく。

神さまが人格を持っていることを1番理解できるのは、「私たちを愛している」と実感できることにあると思います。

ただクリスチャンになったからといって完璧かと言われたらそういう訳ではなく、1人1人成長の段階なんですよってことでした。なので、クリスチャンだからって、洗礼を受けてない人と比べて全然違う訳でもないです。

この神さまの人格をどのように捉えていくか、は結構重要な部分と思いました。

なぜ、キリスト教なのか

他にも、

クリスチャンは他の宗教についてどう思っているのですか?

という質問をいただきました。唯一絶対の神はキリスト教の神だから、他の宗教の神さまは違うのか、違うとしたらそれはなぜか。これはノンクリスチャンの大いなる疑問の1つ。

みんなの回答はこんな感じでした。

私達も憐れみによって救われたため、他の宗教を卑下することはない。どのようにキリスト経を信じるに至ったかはそれぞれの神様の導きによるもの。ただし、聖書にあるように、他の宗教をもってキリスト経の求める救いが得られるとは考えていない。宗教の目的とそれに応じたアクションの違いがある。

富士山の頂上を目指しているのに、高尾山の入り口に入る必要はないのと同じように、目的を理解するということがとても大切であって、目的が理解できれば、自然とそのスタイルが確立されてくるのではないかな、と考えてます。

今回もとても濃厚なディスカッションでした。Step3に続きます~。

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