こんにちは、うさぎ飼いです。
東大の本郷キャンパスの近くにあるキリスト教系の東大YMCA寮で、ノンクリスチャン向けの聖書の学び会を開催しています。
使っているテキストはこちら。
このテキストは現在品切れ中ですが、2019年11月に改訂版が出ました!
これから購入される方は是非改訂版をどうぞ。
昨年11月からこのテキストを使って、ノンクリスチャン向けの聖書の学び会を開催して、今回はいよいよ最後のStep12になりました。
今回は3名の牧師&伝道師の先生方、4名のノンクリスチャン、4名のクリスチャンに参加していただきました。
Step12 進み続ける日々
Step12の概要
Step12では、信じたものの歩みについてです。
これまでのステップで、神は唯一絶対であること、私達はみな罪人であること、イエスキリストの十字架が救いであること、信じたら義とされること、聖化されていくことについて学んできました。
救われるためには「信じる」ということが必要ですが、信じたらそれで終わり、という訳ではありません。
新しい命が与えられるので、日々成長していく必要があります。ここでは産まれたばかりの赤ちゃんに例えて表現されています。
- ミルクを飲む – 聖書
- 息をすること – 祈り
- 愛するものとともに – 教会
- まねること – 服従
- 運動 – あかし
命を与えてくれるのは神様ですが、育っていくために必要なアクションがあります。
聖書を読み、祈り、教会に行き、神に従い、あかし(伝道)をすること、これらをしていくことで、霊的に成長していきます。
信じることについて
信じることのメリットは?
私達には「信じる」というアクションが求められていますが、信じたらどんないいことがあるか聖書に書いてありますが、実際にクリスチャンの人は救いについてどう感じているの?と疑問があるかもしれません。
ちなみに、うさぎ飼いは8年ほど前にプロテスタントの洗礼を受けまして、
1番洗礼を受けてよかったな〜と思ったことは、東大のYMCA寮(家賃光熱費ネット食事代込で5万、研究室まで徒歩約7分)に入れたことです(笑)
救いについて、多くのクリスチャンが感じていることは、
- 自分のことを全て知っていてくれて、しかも愛してくれて、しかも全能な存在と常に一緒にいることができる(と実感できる)
- 宗教観を確立することができる
- クリスチャンネットワーク(神の家族)ができる
- 心の平安と癒し
などです。
神様が近くにいてくれると喜びを感じるし、困難があった時もきっと大丈夫だ!と思えるようになり、心の平安に繋がります。
また、宗教観を確立することが出来ると、例えばカルトなどに惑わされなりにくくなります。
教会やクリスチャンネットワークで、助けあったり愛し合ったりするコミュニティが形成されます。
信じることを続けられるかどうか
神様を信じ、クリスチャンになろう!!と決意しても、やっぱりなんか違うかも・・・・とか、神様のことをすっかり忘れてた!ということもあるかもしれません。
あくまでも自分の意思の力を過信せずに、継続できるように祈ったり、周りに支えられたりする必要があるかもしれません。
困った時は絶対神さまに祈るけど、普段から感謝の気持ちとか祈る時間をもつことが難しい・・・。
実際に困難なことがあった時には、絶対に神さまに祈るけど、普段はすっかり忘れてるという人もいるかもしれません。
また、辛い時は祈るけど、嬉しいことがあった時などには何をどうやって祈るの?と思う人もいるかもしれません。
クリスチャンでも神さまに、ど〜〜しても祈れない時もある。でも、そんな時も神さまに「今日は祈れない、聖書読めない、疲れてる」と言ったりする。
私達の力は弱いので、必ずそういう時はある。でもそういう時さえも委ねる、それを繰り返していく。
クリスチャンでも、祈れない、教会に寝坊した、ケンカした、何もする気力が湧かない・・・・ということはあります。
自分に出来ることは、例えば忘れてしまいがちなら、忘れないようにする工夫をすること。友達に相談してみたり、祈ってみたり。
クリスチャンの特権はなんと言っても、神さまと直接交流することが出来る事。色んな方法を試しながら、自分のスタイルを確立させていくことが大切、ということでした。
伝道することについて
証(あかし)とは
神さまのことを伝道することを証(あかし)する、という表現を使います。
では、信じた人はどのように証することができるのでしょうか。
突然家に行って、すれ違いの人に話しかけたり、など・・・・かなりハードルが高い方法がまず思い浮かんでしまいますが(笑)、証はそれだけではありません。
例えば、テキストには「私はクリスチャンです!」ということさえも証になりえると書かれています。
背中で語る
また、聖書にはこのようにも書いてます。
異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう。
ペトロI 2章12節
直接聖書や十字架のことなどを話したり伝えたりせずとも、その行いをみて神さまを見ることがあることが書かれています。
これは、証は必ずしも口で語られることのみではないことが示されています。
実際にクリスチャンの多い寮生活の中で、助け合う姿をみて、キリスト教について興味が湧いたと言ってくれた人もいました。
他人と宗教の話をする気まずさ
自分がどのような宗教なのかとか、キリスト教の寮に入っているという事も、他の人と話す時に気まずく感じることがあるのですが・・・
日本では宗教の話をすることは、あまり多くなく、気まずく感じるシーンもあるかもしれません。
気まずくても伝道するべき!!と思う必要はなく、なぜ気まずく感じるのか、どのように考えたらいいのか考えることが大切です。
- 宗教のことをシェアすることで周りに心配されるのではないか
- 差別的な目で見られるのではないか
- 冷静に考えるとなんか違うかも
- ぶっちゃけ何故その宗教なのかと聞かれるとよくわからない
などがあるかもしれません。
宗教を知ること、そして自分で選択することで、宗教観が確立されます。そうするとまた違った気持ちを感じるのではないでしょうか。
困難に遭うこと、センシティブな話になることは、これからたくさん遭遇すると思うので、若い時に宗教観を確立させておくことは大切です。
祈ることについて
このテキストでは、祈りは息をすることに例えられているくらい、祈りは大切な神様との交わりの時間です。
自分の祈りはこれで良かったのか???
祈り方に正解はありません。ただ、どのように関わっていったらいいのか?という指針は必要かもしれません。
今回は12回のStepを終えて、一通りキリスト教の基本について学んできましたが、次回からは実践的な内容も踏まえ、祈りについて学んでいきたいと思います。
まとめ
これで、12回のテキストの学びが終了しました。初めてキリスト教の内容について、話し合ったり疑問をぶつけてみたりする人も多く、刺激的な時間を過ごした人も多かったと思います。
中には、神さまを信じると告白してくれた人もいます。
初めての試みでしたが、テキストを使ったこの聖書の学び会が、1年間神さまによって守られて本当に感謝です。
参加してくださった牧師先生、伝道師の先生方、東大TMCA寮の現舎生、OGOBのみなさまに心から感謝申し上げます。
来年からも益々多くの人が、神さまを知る機会として、この学び会を用いてくれますように!
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