こんにちは、うさぎ飼いです。
東大の本郷キャンパスのすぐ近くにある東大YMCA寮にて、ノンクリスチャン向けの聖書の学び会を開催しています。
今回は、3名の牧師・宣教師の先生方、3名のノンクリスチャン、4名のクリスチャンに参加していただきました。
使っているテキストはこちら。
現在、入手困難な状況です。重版希望中。
今回はStep8です。
Step8 救いの道
Step8の概要
これまで私たちは自分が罪人であること、イエスキリストが救い主であることについて学んできました。
では、どのようにしたら、この私が救われるのでしょうか?その具体的な方法について学びました。
- 救われるためには悔い改めと信仰が必要である。
- 悔い改めとは、心を変えることであり、考え方を変え、罪を悲しみ、罪を告白して捨てること。
- 信仰とは、知ること、受け入れること、任せること。
という内容になっています。
悔い改めについて
悔い改めは、決して信仰を受ける前のものではなく、クリスチャンになってからも、必要なものです。
自分は信仰を持ってからの方が、罪の大きさを理解することの方が多くなったという経験があります。
悔い改めは、信仰を持つ前に限らず、常にしていくもので、むしろクリスチャンになってからの方が悔い改めをすることが多くなりました。
クリスチャンになってからの方が、悔い改めの気持ちを持つことが多くなったとシェアしてくれた兄弟がいました。
聖書を知っていくほど、罪の大きさ、神さまの偉大さがわかり、恐る気持ちと悔い改める気持ちが大きくなっていくのではないでしょうか。
任せるということ
神さまに信頼し、任せるということはどのようなことなのでしょうか。
自分の罪が大きく神さまに委ねないと解決することはできないという認識はありますが、具体的な自分の選択について、神さまに任せるという実感がありません・・・。
これは、多くのノンクリスチャンが疑問に思うことではないでしょうか。神さまが用意した道を歩くということの意味、実感はどのように伴っていくのでしょうか。
クリスチャンのみんなの回答です。
神さまの道を歩むための具体的な方法は、クリスチャンにはっきりと示されているわけではない。
自分に与えられたものと、選択肢の中からぼんやりと「この道でいいなかな」と思いながら進み、経験の中で実感したり、後から思い返したりしながら進んで行くことが多いかもしれない。
では、全知全能の神さまが私たちに必要なすべての能力と才能を与えてくれているのに、なぜ私たちは悩み、努力をする必要があるのでしょうか。
神さまに任せるということは、努力をしなくていいということでは全くなく、むしろ私たちは100%の努力をして100%の信頼を持つ事が必要です。
それは、完全な神さまの計画を不完全な私たちが知る事ができないから。100%の努力と信頼の中で得られた道を自分で模索していく、それが「任せる」という意味であり、神さまの道を歩くということに繋がります。
神さまの計画は完璧ですが、私たちが不完全であるために、自分の道を理解することは簡単にはできそうにありません。
これを100%の努力と信頼を持って進むことが、神さまに委ねるということに繋がるということではないでしょうか。
考え方を変えることについて
このテキストでは、考え方を変えることについて、これまでの自分本位な考え方を捨てて、神さまのために生きるということについて書かれています。
考え方を変えると一口に言っても、安直に信じてしまうのはどうなのかと、不安になることもあるかもしれません。
キリスト教を信じて救われた人が書いた本を読むと、そうなのかと納得する所はありますが、キリスト教を信じることで不幸になってしまったり離れてしまった人はその事に関して本を書いたりはしないと思います。
もしそういう人の話を聞いたら、自分はどう思うんだろうという気持ちはあります。
このように、テキストに書かれた内容に全く疑問を感じなくても、もし他の書物を読んだ時には、どのように感じるのか?という疑問もあると思います。(例えば、違う宗教の話を聞いたらそれも正しいと感じる、など)
牧師先生の回答です。
聖書の中には、神さまを信じることによって迫害を受けたり、苦痛や困難を味わった話の方がむしろ多いです。
海外では未だに殉教する人がいますし、旧約聖書にも迫害や困難にあった人たちに関する多くの記述があります。
ではなぜこんな困難に遭わせる神さまを信仰するのか?それは、困難の中に神さまが働いていること、苦難をも神さまが用いるお方だということを読み取ることが出来るからです。
特に旧約聖書の中には、神さまとの交わりが多く書かれている一方で、迫害や困難に遭う人たちの話がたくさん出てきます。
歴史的な事実を一緒に見ていくことで、神さまがいかに私たちを愛しているか、困難をも用いて私たちに恵みを与えてくださる方であるかということが理解できていくのではないでしょうか。
不完全な私たちを用いる神さま
神さまは、完全な計画を持っている方です。そして神さまは不完全な私たちを使って、その計画を実行するために用いる、ということをします。
時にはクリスチャンを用いて困難に遭わせたり、時には身近な人を用いて御言葉を聞いたり、時は通りすがりの人を使って気づきを与える、なんてことがあるかもしれません。
不完全だから使わないのではなく、不完全な私たちを使って完全な計画を行うという所は、なんとも不思議です。
私たちの道を神様に委ね、神さまとの関係を確かなものにしたいと思います。
Step9に続きます〜。
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