新婚のクリスチャンが結婚前に持っていった恋愛感について暴露する

こんにちは、結婚して1年目のプロテスタント のクリスチャン、うさぎ飼いです。

クリスチャンと聞くと、一般の人はどんな風に思うのかあまり認識してないんですが、恋愛感や結婚感について、具体的に話すことって中々ないと思うので、クリスチャンの私が実際に結婚前に持っていた恋愛感について暴露しようかな〜と思います。

ちなみに、私の考え方がクリスチャン全般の考え方という訳では断じてありません。

クリスチャンになった時期、家庭環境、性別、年代、性格によってもちろん色んな価値観あります。ご参考までに。

うさぎ飼いのスペック

  • 性別:女
  • 兄弟:双子の姉妹
  • プロテスタント
  • 20代前半で初めて教会に行き、その後洗礼を受ける
  • クリスチャン1世
  • 仏教育ち
  • 理系
  • カトリックのクリスチャンと結婚

クリスチャン1世というのは、両親がクリスチャンではないという意味です。両親の世代からクリスチャンの時は2世っていうことが多い気がします。(おそらく、俗語)

クリスチャンの恋愛の価値観に影響しそうなのは、やっぱり世代です。家族がクリスチャンかどうかという部分は大きいと思います。これは別の記事にしたいと思います。

元々私は恋愛のことは結構疎いタイプで、誰と誰がいい感じとか、そういうのは全くわからないタイプです。理系的な考え方に寄っているかもしれません。

なので、全てのクリスチャンに当てはまる訳ではありませんので、ご参考までにどうぞ。

恋愛指南書の考え方

妹に紹介してもらった恋愛本で、へ〜恋愛ってこういう風に考えるんだ〜と思った恋愛部門でのバイブルと言われている本を2冊紹介したいと思います。

どちらも女性向けの激しい恋愛スパルタ本(?)です。

要約すると、男性は狩猟本能が強い生き物なので、女性を追いかけるという状態で恋愛をすることに生き甲斐を感じているため、男性から追いかけられて始まる恋愛こそが自然の摂理であり、女性が幸せになれる道である、ということです。

そのために、女性が男性を追いかけるようなことはしちゃダメですってことが書かれてます。

禁止事項がたくさんあります。読んでいてとても勉強になりました。実践する機会はほとんどありませんでした(笑)

聖書的な恋愛の考え方

ルールズとユキコ道を読んで、幸せな結婚のために実践するぞ!と考えることもできるんですが、実際にキリスト教的な解釈はどうなのでしょうか。

元々仏教育ちなので、周りに聖書的な解釈を相談できる家族がいなかったということもあり、恋愛と結婚の聖書的な解釈が知りたいな〜と思って、未婚女性対象のキリスト教系の合宿に参加したことがありました。

テーマはクリスチャン女性の恋愛・結婚についてです。

エペソ人への手紙から、女性の恋愛・結婚感について書かれている所に触れました。

妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。

エペソ人への手紙5章22〜24節

なんと、女性が男性に従うように書かれています。主導権を男性が持つべきであることがはっきりと書かれています、とのことです。

これは正直驚きでした。なんとなく、「女性は男性に従うべきだと社会ではっきりと言うべきではないのではないか。。」という意識が自分の中にあったことにも気づかされました。

さらに聖書の中の創世記にはこう書かれています。

主なる神は言われた。
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」  
 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。  
  主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。
「ついに、これこそ
 わたしの骨の骨
 わたしの肉の肉。
 これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう
 まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」  
 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。  
 人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。

創世記2章18〜25節

驚くべきことに、女性というのは男性のあばら骨から作られたことが書かれています。

しかも女性が作られた目的は、男性の助け手として。

聖書には、女性は男性のために作られて、男性の主導権のもと、男性のために仕えて生きるということが書かれています。

恋愛指南書と聖書に見えた共通点

聖書の解釈はフェミニズムの観点からどう思ったらいいんだ・・・・(動揺)という気持ちもありました。

と同時に、ルールズやユキコ道に見られる「男性を主体とした恋愛をするべき」という考え方に共通点があることに気づきました。

女性が恋愛市場においてやるべきことはなんなのかと考えると、ほとんどなにもありません。

女性のやるべきことは

聖書には、男性には「妻を愛しなさい(エペソ5章25節)」をはじめ、色々やるべきことが書かれています。これは、男性向けの合宿で取り扱われる議題なんだと思います。

しかし、女性のやるべきことってなんでしょうか?待つだけ??祈るだけ?

しかも、恋愛指南書には手厳しい注意事項がたくさんあります。聖書にも、男性が主導権を持つことが書かれています。

強いていうなら女性のやるべきことは、男性に仕えるということですが、それは結婚後の話です。恋愛段階における女性のやるべきことって、ほとんどないんじゃないでしょうか。結婚すると、精一杯仕えることになるので、その準備は必要かもしれません。

女性はやるべきことがないというか、やってはいけないということが多いんじゃないでしょうか。

女性は恋愛の話が好きなのにも関わらず、なにもしないことが正解ということなんでしょうか。(聖書的にいうと祈るだけ)

どのように考えたか

元々面倒くさがりな私はこう考えました↓

「何もしなくていいんだったら、考える必要がないな。ということで、なにもしないぞ(^○^)独身でしかできないことを一生懸命楽しむ」

本当に婚活のようなことは何もしませんでした。

「男性が女性の結婚相手を決めるのなら、女性は結婚相手が誰なのか一喜一憂して考える必要がないな」

当然ながら、結婚する気配が訪れず、20代が過ぎていきます。

しかし、研究忙しくて土曜日眠くて誰かとデートする気が全く起こりませんでした(以下省略)。

でもクリスチャン的には、相応しい人が与えれれますようにって祈ることは大事だと思います。

実際にどうなったか

卒業後すぐに、カトリックのクリスチャンと婚約して結婚しました。

本当に神さまは必要なものを与えてくれるんだな〜と驚き。

恋愛指南書?聖書?何が良かったかわかりません。何もしていないので()

クリスチャンだから崇高な考え方を持っていると思われてたでしょうか?

一周回って、無の境地にいました(笑)

色々考えるとどうしても自分で主導権を握りたくなったり、思い通りにならなくてイライラしてしまうこともあると思ったので。

さいごに

恋愛指南書のバイブルと呼ばれる本と聖書には共通点があります。

現代社会的な考え方と少し違うと感じるかもしれないんですが、スパルタ恋愛指南書を忠実に守ると、聖書的な解釈に近づくというのは驚きです。

恋愛段階での女性の仕事はなにもしないこと。

と、実際、私の所見を書いたんですが、女性の聖書的な恋愛感とその解釈について、ご意見ある方いらっしゃいましたら、コメントいただけたら嬉しいです。

みんなが幸せな家庭を築くことができますように!

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